昭和33年12月 |
衆武館剣道場落成。敗戦後の混乱した日本の復興には剣道で青少年の健全育成を図る事が大事と固い信念もって荻野清作(号、高延)は警視庁を退職して私費を投じて現在地に剣道場を造り恩師を迎える。(元警視庁剣道師範)佐藤三蔵範士が大正15年に興した「衆武館」(戦火焼失)の師弟念願の再建を果たす。 |
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居合道部発足。塚瀬正平先生を師範に『夢想神伝流居合』の稽古始まる。 |
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佐藤三蔵先生ご逝去。道場葬以って葬送する。 |
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道場名を「修武館」と改める。 |
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創立10周年記念大会を開催する。 |
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東京都剣道道場連盟に加入する。 |
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荻野清作館長、江戸川区剣道連盟理事長に就任。(47年5月〜53年4月) |
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師範塚瀬正平先生居合道範士号授与される。 |
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荻野清作館長、江戸川区剣道連盟副会長就任 |
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創立20周年及び新道場落成記念祝賀会及び剣道大会を挙行する。 |
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荻野清作館長、東京都剣道連盟より役員功労表彰される。 |
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師範塚瀬正平先生剣道範士号授与される。 |
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修武館少年部後援会『修武館父母会』(会長藤江光子)発足する。 |
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少年部夏季合宿研修を副館長によって始める。(以後毎年開催) |
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「修武館だより」毎月発行始まる。 |
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荻野清作館長(号高延)逝去。享年81歳。 |
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荻野泰亨館長就任。剣道師範河野豈小、居合道師範中村和四郎が就任 |
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荻野泰亨 東京都剣道道場連盟常任理事として諸行事に参加する。 |
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荻野泰亨 剣道教士の称号を授与される。 |
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元警視庁剣道師範.範士八段古城晃先生と警視庁剣道教師中山峯雄先生を師範に[修武館高段者稽古会]を開催する。以後毎月最後の水曜日続行。 |
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剣道居合道師範 塚瀬正平先生ご逝去 |
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荻野泰亨 剣道七段合格する。 |
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故荻野清作前館長に剣道範士の称号を授与される。 |
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創立30周年記念誌発行。記念式典、記念剣道大会を挙行する。 |
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ハンガリー及びニュージーランドの剣道研修生を受け入れ指導する。以後毎年海外剣道研修生を受け入れ指導する(無償)。 |
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荻野泰亨館長に東京都知事より青少年健全育成の感謝状を賜る。 |
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国際剣道連盟事務総長より剣道の国際化諸外国交流による感謝状を賜る。 |
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武館大子山荘剣道場落成(剣道合宿研修施設、茨城県大子町) |
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文部大臣より青少年健全育成と日本文化の海外交流により感謝状を賜る。 |
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プラハの武道ジャーナル誌が館長と道場を掲載、ヨーロッパに紹介される。 |
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月刊『剣道日本』に当道場の少年剣道指導の様が掲載される。 |
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法務省『更生保護』誌に剣道による青少年健全育成に当たる当道場が掲載される。 |
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創立40周年記念及び「修武館だより出版記念」祝賀会を挙行する。 |
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小宮英和が全国青年大会団体戦に(江戸川区剣道連盟チーム)出場、準優勝。 |
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荻野泰亨館長 全日本剣道道場連盟評議委員に任命される。 |
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修武館のホームページを立ち上げる(父母会川名淳雄氏の協力にて) |
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オランダの映画監督エリーヌフリプセ 修武館の剣道を記録映画で撮る。 |
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剣道日本誌が修武館大子山荘剣道場での合宿を取材し掲載する。 |
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居合道師範(居合道教士八段)中村和四郎先生ご逝去 |
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江戸川区剣道連盟創立50周年記念式典にて連盟功労者の表彰される。 |
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師範剣道範士八段古城 晃先生 ご逝去 |
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元警視庁師範範士8段小笠原宗作先生を師範にお迎えする。 |
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大槻晃子 東京都代表で全日本剣道少年団体研修発表出場 敢闘賞受賞 |
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藤井 梓(中学3年)、第1回全日本都道府県対抗少年剣道優勝大会に出場 |
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全日本剣道連盟より『少年剣道教育奨励賞』を受賞する。 |
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藤井 静 東京地区代表で全日本剣道少年団研修発表出場 敢闘賞受賞 |
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剣道時代誌が道場を取材する。8月号に掲載。 |
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創立50周年記念式典、祝賀会、記念演武大会、記念誌発行を行う。 |
創立以来、門下生が毎年江戸川区民大会、墨東五区大会、東京都大会や全国規模の大会や審査会に出場し、実績を収めている。少年剣道で育った青年が高校や大学でも活躍し実家に戻るように道場に稽古に来る子供と始めた家庭婦人、会社帰りに道場で稽古の社会人、海外からの剣道研修生、他から出稽古に来られる剣士、それぞれの剣道にかける想いが汗の雫となって道場の床に染みを残 している。その数三千人以上、現在も100人余の門下生が稽古に 来ている。 |